今回のおとなり山(さん)探訪は近江の国、小谷山(大嶽)へおじゃましてみます。
大河ドラマ「豊臣兄弟」の進展に合わせ、史跡やお城など登場人物ゆかりの地を訪れている人も多いのではないでしょうか。
小谷山は戦国大名浅井氏三代の居城であった小谷城跡がのこる歴史の舞台で山城好きハイカーの好奇心をくすぐってくれます。
小谷城は日本100名城にも選定されている広大な「山城」ですが山麓までのアクセスは容易で100名城登城と琵琶湖を展望する小谷山ハイキングを兼ねて戦国時代に思いを馳せることのできる魅惑的なアウトドアスポットです。
令和8年は5月2日から6日の間の土日祝日に湖北町伊部の「戦国ガイドステーション」から小谷城へのシャトルバスも運行され観光気分でも訪れることができますが、ハイカーとしてはやはり戦国武将の気持ちになって自分の足で麓から城跡を歩きつくしてみたいところです。
さてさてどこから攻め登りましょうか。
・戦国の歴史にふれながら小谷山と小谷城跡を一日でくまなく歩いてみたいハイカー
・お手軽に小谷城の歴史に触れたり、小谷山や城跡の要所をたのしんでみたい方
・織田信長の陣、「虎御前山」も気になっているハイカー
戦国の堅城跡がつづく小谷山で青空ランチハイキング
小谷城跡をめぐりながら小谷山のハイキングをたのしむならあらかじめ小谷山の二本の尾根筋とその間にある清水谷の地理を頭に入れてでかけるのがおすすめです。
小谷山の山頂(大嶽)からは南西方向に西尾根が派生し、尾根上には「福寿丸」、「山崎丸」といった二つの見どころの曲輪を抱えています。
また西尾根と併走する形で清水谷をはさんだ東側の尾根上には小谷城の曲輪がこれでもかと連続し全体として広大な山城を構成しています。

小谷山、小谷城ハイキングコース(出典:国土地理院ウェブサイト・地理院タイルを加工して作成)
日本100名城の小谷城登城と小谷山登頂をめざすならハイキングの起点を麓の「小谷城戦国歴史資料館」にして東西どちらかの尾根から登って反対側へ周回して下りてくればよいのですが、間にある清水谷はあの木下藤吉郎(秀吉)が小谷城へ攻め上がったという谷ルートですのでハイカーならこれも歩いてみたいところです。
そこで小谷山と城跡の見どころをできるだけ効率よく一筆書きで全部周回できぬものかと頭をひねってみてもさすがは堅城小谷城、そうそう都合のよいルートは見つかりません。
筆者は結局、東の尾根から左回りで西へ周回し下山してから清水谷をあきらめきれず、谷ルートを登り返して往復しました。
小谷山周辺には織田信長勢が陣を張った虎御前山や姉川の合戦地など見どころの史跡が多数点在していますので小谷山や小谷城、周辺のハイキングルートをあれこれ悩みながら検討してみるとおもしろいですね。
小谷城の概念図は「小谷城戦国歴史資料館」ホームページの資料が参考になります。
小谷城戦国歴史資料館から攻め上がる
小谷山への登山口としては西池側からの登山口もありますが、やはり前述の「小谷城戦国歴史資料館」を起点にして城跡を下から辿るのがよさそうです。
同資料館は午前9時に開館します。
100名城の登城スタンプもこちらで入手できます。
そこで資料館見学と小谷山ハイキングをめいっぱいたのしむつもりで資料館の開館と同時に入館できるように現地に到着し、見学を終えてからハイキングにでかければ時間の無駄がありません。
一方であまり時間がとれず小谷山登頂を省略したり、城跡の散策も部分的に済ます計画であれば資料館と城跡めぐりの順序はどちらでも構わないと思います。
小谷城跡、小谷山の近況と見どころ
小谷城戦国歴史資料館をひとしきりたのしんだら駐車場脇の追手道から小谷城へ向かいます。
資料館を出る頃にはすっかり戦国の世界に引き込まれていて、そこかしこに戦国将士らの影姿が見えるような気分になっているはずです。
車道脇には簡易トイレが設置されています。
山中にトイレはないので済ませていきます。
尚、これからのシーズンは城跡の散策には虫除け対策を忘れずにしていきましょう。
また城跡やハイキングルートには休憩ベンチが少ないので腰を下ろせるようにビニルシートなどを持参していけば重宝します。
小谷城戦国歴史資料館前から出陣!
追手道に入ります。
獣よけゲートを開けて通ったら必ず鎖をかけて閉めておきます。

追手道入口
まずは「出丸」から
出丸は主郭尾根の最南端に位置する独立した砦で敵対した織田信長勢が陣を置いた虎御前山と至近の距離にあります。
追手道を登ってくると車道と接する地点に追手道登山口の道標が立ち、本丸方面が案内されているため反対側にある出丸を訪れている人は少なそうです。
しかし出丸は小谷城全体の構成や規模感、織田軍と対峙した緊張感をつかむためにも最初に立ち寄ってみるのがおすすめです。
出丸へは前述の車道が接した地点で右折して車道を下ればすぐ先に登り口があります。
曲輪は二重の土塁と上下二段の構成になっていることがよくわかります。

出丸
望笙峠から金吾丸、番所跡へ
つづいて出丸から追手道登山口まで車道をもどって「番所、本丸方面」へと向かいます。
途中でふたたび車道が接するところが望笙峠で西方、南方の景色が広がっています。
写真付きの案内板もあるので一服していくのによいところです。

望笙峠
登山道にもどって先へすすむと金吾丸への分岐道が右手に分かれます。
右手の道に入れば小ピーク上に金吾丸がありますが、分岐に入らず直進すれば番所跡前に出ます。
金吾丸は六角氏との戦いに際し、来援した朝倉教景(宗滴)の官途名金吾から名付けられている南北四段構造の曲輪ということですが、素人の筆者の目には地形はよくわかない状況でした。
そんなときでも麓の「小谷城戦国歴史資料館」では各曲輪の復元図パンフレットや参考図書も販売していますので一部購入してから曲輪めぐりをするととても役立ちます。
「浅井三代の山城 復元 小谷城 歩いて体感、戦国の城」(350円)がおすすめです。
金吾丸へ進んだ場合は直接番所跡に下りられる道が付いていますので前述の分岐へ戻る必要はありません。
番所跡前まで来ると車道終点になっていてりっぱな「小谷城跡絵図」が建っています。
広大な城跡の規模をイメージすることができます。
尚、シャトルバス運行時は一般車の進入は制限されますのでマイカーで出かける際は注意が必要です。

小谷城跡絵図
さて、番所跡からは史跡、曲輪の見どころが連続します。
ここまで登ってきた場合は近場を散策して引き返すか、「六坊」まで上がって清水谷沿いに下るか、あるいは小谷山(大嶽)山頂を踏んで「福寿丸」、「山崎丸」経由で下山するなどいろいろなルート選択が可能です。
各自の手持ち時間や体力と相談して計画してみましょう。
「桜馬場」で青空ランチ、必見の「黒金門」に「浅井長政自刃の地」
番所跡から虎御前山展望所、姉川古戦場や伊吹山をのぞめる展望所と通り過ぎると逆臣の首を据えたという「首据石」まで来ます。
正面には「黒金門跡」、右手方向へは「浅井長政自刃の地」である「赤尾屋敷跡」に至る小径が分岐しています。
また左手後方にはハイキングコース随一の展望が得られる「桜馬場」の曲輪が広がっています。
黒金門は登城道の終点に設けられた門跡で「大広間跡」へのぼる七段ほどの石段が設けられていて見どころです。

黒金門跡
浅井長政自刃の地である赤尾屋敷跡も必見です。
黒金門の脇から道標にしたがって短い距離で往復できます。
赤尾屋敷は本丸東側の腰曲輪下に位置していて、現地の説明板では長政は本丸に帰着できずこの屋敷が自刃の場所になったとあります。
大河ドラマ「豊臣兄弟」の次回の放送では小谷落城が描かれるようです。
武将長政の最後に注目ですね。

浅井長政自刃の地
さて今回の散策ルート中で一番の眺望が得られるのが「桜馬場」です。
休憩ベンチが空いていれば、長政や市も見たであろう琵琶湖をのぞみながら青空ランチにするのがおすすめです。
お弁当を食べるなら、つぎの「大広間」、「本丸」でもゆっくりできます。

桜馬場で青空ランチ
長政、秀吉、久政の影を追う「本丸」、「京極丸」、「小丸」
黒金門を上がると千畳敷ともよばれる小谷城最大の曲輪「大広間跡」です。
浅井氏の居館が建っていました。
広大な敷地に建つ御殿や赤ん坊の江を抱いた市の姿が目に浮かぶようです。

大広間
先へすすめば「本丸」、「大堀切」、「中丸」、そして「京極丸」と見どころがつづきます。
藤吉郎(秀吉)は清水谷から京極丸へと攻め上がり、浅井氏二代久政と長政親子を分断し久政をこの先の「小丸」にて自刃に追いやったといいます。
京極丸虎口に立つと秀吉の軍勢が谷から駆け上がってくる様子を想像できてゾクゾクしてきます。

京極丸虎口
「山王丸」の大石垣に「六坊」、「月所丸」
ここまで登ってきたハイカーであれば「山王丸」の「大石垣」と「月所丸」も訪れないわけにはいきません。
小丸からすすんだ先が小谷城詰の丸の山王丸で山王丸の東側斜面には高さ5mほどもある大石垣が現存しています。

山王丸の大石垣
山王丸をすぎると山城探訪も終盤です。
「六坊」先で清水谷沿いに下山するルートと小谷山(大嶽)へ向かうルート、さらには「月所丸」方面へすすむルートの分岐点となっています。
全部歩いてみたいので困ってしまいますが、筆者は月所丸に立ち寄ってから小谷山山頂から下山するルートを選択してみました。
月所丸は浅井氏が同盟を結んでいた朝倉氏の越前へつながる「越前忍道」上にあって尾根を断ち切っている堀切がたまりません。
忍び気分の尾根歩きがたのしくなってずんずん先まで下ってみたくなりますが、また今度の機会にして適当なところで引き返します。

月所丸跡
小谷山(大嶽)、福寿丸、山崎丸
小谷城主郭が東尾根に移される前の主郭「大嶽城址」が小谷山山頂にあります。
前述の六坊先の分岐からは登山道を登って30分ほどかかります。
浅井氏初代亮政が築城し朝倉氏が改修したといわれ、土塁で囲まれた主郭に興味をひかれます。

大嶽城跡
山頂からは道標にしたがい、「福寿丸」、「山崎丸」方面へと下ります。
福寿丸へは20分ほど、山崎丸へはさらに15分ほどのハイキングです。
曲輪の地形を確認するのは少し難しいですが現地の案内板や前述した復元図パンフレットが役に立ってくれます。

福寿丸跡
援軍の朝倉義景が布陣した山崎丸を探訪して山城の旅を締めくくりましょう。
迷路のような折れ曲がった土塁をのぼったり、下りたりしているとあっという間に弓矢で射貫かれてしまいそうな気分になります。

山崎丸
やっぱり清水谷は外せない
これでなんとか無事に山崎丸跡も過ぎ、清水神社脇から下山してきました。
小谷城下を通過する街道「北国脇往環」に突き当たったらスタート地点の小谷城戦国歴史資料館へもどって山城ハイキングは終了です。
でも筆者のようにどうしても藤吉郎(秀吉)がどこから京極丸に攻め上がったのか自分の目で確かめてみたくて心残りな方はもう清水谷道をのぼってくるしかありません。
点々と残る浅井氏重臣の「屋敷跡」、「虎ケ谷道分岐」、浅井氏菩提寺の「徳昌寺跡」とすぎ、「丸子岩」道標から100mほど先で「水ノ手」の道標が立つ地点で沢が右へ分岐しています。
藤吉郎軍はこの辺りから京極丸へ攻め上がっています。

水ノ手分岐
見上げればさすがは藤吉郎、この沢をのぼったか!と感嘆することしきりです。
こちらも負けじともう少し清水谷道をさかのぼれば「蛙岩」、「三田村屋敷跡」、石垣の残る「大野木土佐守屋敷跡」と過ぎて再び六坊先の分岐に突きあがります。

蛙岩
朝駆けで虎御前山も攻略
さらにさらに朝駆けも苦でない強者ハイカーであれば資料館見学まえに織田信長が小谷城攻めの際に陣をおいた「虎御前山」も一歩きしてしまうという手もあります。
ハイキングコース途中にある陣地跡や展望所などから小谷山や麓の集落の様子、伊吹山、琵琶湖なども遠望できるすばらしい森林ハイキングがたのしめます。
虎御前山へは鉄道でも車でもアプローチが容易です。
JR河毛駅前には無料駐車場とトイレが整備されていますので便利に利用できます。
また虎姫駅からアプローチしたり、車利用なら矢合神社前にも虎御前山公園専用駐車場と公園トイレがありますのでいろいろなルート取りが可能です。
各自の都合に合わせて交通手段の選択、ハイキングルートを検討してみると楽しめます。
筆者は小谷山ハイキングとは別日になりますが、河毛駅前に車を停めて虎御前山ハイキングコースを南下、往復して訪れてみましたので簡単に要所と近況をご紹介しましょう。
尚、河毛駅コミュニティハウスでは各種御城印はじめ、参考図書など充実の品揃えですので立ち寄っていくとおすすめです。
駅前の浅井長政、お市の方像からハイキングスタートです。

長政と市の像
虎御前山のハイキングコースは北側の登り口と矢合神社側の南の登山口を結ぶほぼ一本道のコースで途中織田信長勢の陣地跡や古墳群を探訪できます。
また丹羽長秀陣地跡や展望台からはすばらしい眺望が得られます。
北側登り口から登ると「夫婦岩」へ下る分岐があって15分ほどで往復できますが、現況、あまり道は踏まれていませんので一般のハイカーの方は省略してもよいかと思います。
戦国LOVEの強者ハイカーはもちろん突撃です。

夫婦岩
「織田信長陣地跡」は、さすがは殿の陣というような構えで思わず長居してしまう居心地の良さです。

織田信長陣地跡
「丹羽長秀陣地跡」は広大な広場になっていて休憩場、ベンチなどもあってゆっくりできます。

丹羽長秀陣地跡
「展望台」からは小谷山や城下の田園風景、西に琵琶湖と景色を堪能できます。

展望台から小谷山をのぞむ
矢合神社に下りたら往路を引き返し、新緑の森のミニハイキングを終了します。
今回は小谷城跡、小谷山、虎御前山と歩いてみました。
戦国武将の影を追う強者ハイキング、次回お出かけしてみてはいかがでしょうか。
| 管理人探訪日 | 2026年4月13日 |
| 小谷城戦国歴史資料館発 | 11:05 |
| 小谷城戦国歴史資料館戻り | 17:20 |
