辰年の私家版マイクロツーリズムの手始めに樹齢400年を超えるという日進市妙仙寺臥龍の松を訪れた。
丹羽氏菩提寺
新年5日。たぶんお参りの人が多く寺の駐車場に車は止められまいと思ったが予想に反し境内にはカメラを構えた初老の男性が一人のみであった。臥龍の松は寺の山門をくぐって正面右手に現れる。大木をぐるりと一回りしながら下から枝振りを眺めて見る。数本元気のない枝もあるが快晴の日差しに映えて見事である。
二階作りの山門を出て、もう一度正面から振り返ってみる。臥龍の松、山門ともに日進市指定文化財となっており山門には赤穂四十七士の天井画が張られている。古い楼門には今どきのしめ飾りが不釣り合いな印象を受けた。
戦国の世に活躍した丹羽氏一族が眠る妙仙寺を後にして歴史の舞台岩崎城へ移動する。
岩崎城址公園
羽柴秀吉と徳川・織田連合軍が激突した小牧・長久手の戦い。その前哨戦がこの地で行われ岩崎城代の丹羽氏重以下、城兵300名ほどはほとんど討ち死にしたという歴史がある岩崎城。当時氏重は16歳、その覚悟たるや壮絶である。現在の岩崎城は昭和になって展望塔として整備されたものであるが、城郭に登れば当時の合戦が偲ばれる。
岩崎城址公園内には、岩崎城歴史記念館をはじめ、空堀、土塁などの遺構が残り古城の碑前には市内を見下ろせるベンチなども配されゆっくりと見学、散策しながら歴史に思いを馳せることができる。
それにしても氏重はわずか16歳だったのだなあと思うことしきりであった。岩崎城の戦いの時、臥龍の松は芽吹いていたのであろうか。
管理人散策日 | 2024年1月6日 |