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湿原と歴史のふるさと、新城市作手。
国道301号線の道の駅、「つくで手作り村」は休日ともなると多くのファミリーやバイク、自転車の愛好家でにぎわいます。
付近には続日本100名城にも選定されている古宮城をはじめとする戦国城址や寺院などをめぐる「歴史の小径」散策コースが整備されています。
しかし歴史の小径は一めぐりすると10キロ3時間の行程となり、全部歩くとなるとなかなか大変です。
一方で山城ファンにとっては、古宮城などは単に訪れるだけではなく時間をかけて縄張の妙を存分に味わってみたい魅力的な城址です。
そこでおすすめなのが自転車の活用です。
車に自転車を積んでゆき自転車に乗り換えてサイクリングしながら見どころを移動すれば「歴史の小径」の必見スポットを楽々めぐって滞在時間もたっぷり確保して楽しむことができます。
この記事では山城・歴史ファン、サイクリングやハイキングの愛好家に向けて歴史の小径を効率よく最大限に楽しむおすすめの旅を徹底紹介します。

歴史の小径
つくでサイクリングの起点は「つくで手作り村」が正解
「歴史の小径」は作手歴史民俗資料館を起点にした周回コースが紹介されています。
同資料館を出発して主な寺院、史跡、景勝地をめぐり、ふたたび資料館に戻ってくる10キロ3時間のハイキングコースです。
しかし同資料館の開館は午前10時と遅めです。
続日本100名城のスタンプはこちらの資料館に設置されていますから城郭ファンは必ず立ち寄りたいですし、城郭ファンならずとも開館時間中に散策コースに組み入れたいところです。
そこで歴史の小径を辿るコースの起点を道の駅「つくで手作り村」にして資料館には後ほど立ち寄るようにすれば多くの見どころを効率よく回ることができます。
道の駅にはできるだけ早く到着するようにして散策を開始すれば駐車場の心配も少なくなり一日を有効に使うことができます。
道の駅から金輪山善福寺へ
山城ファンが作手にでかけるなら100名城の古宮城址に加え、文殊山城址、塞ノ神城址、亀山城址は全部訪れたいところです。
中でも迷宮の縄張とでも呼べる古宮城址はたっぷりと歩いてみたいですね。
これら点在する史跡を効率よく回るためには道の駅から文殊山城址と塞ノ神城址をワンセットにして往復し、一旦道の駅にもどって亀山城址と古宮城址をもうワンセットにして訪れるのがおすすめです。
まず、道の駅から自転車で善福寺へ向かい善福寺から文殊山城址をめざします。
善福寺には駐車場もありますので車で出かけることも可能ですが、善福寺からの文殊山城址、塞ノ神城址の往復は山道ですので徒歩でのハイキングとなります。
善福寺は推古天皇の御代に田源山善福寺の勅号を賜り、後年空海の十大弟子の一人である真済が天長元年(824)伽藍を建て山号が金輪山と改められました。
作手の名は真済僧正が弘法大師作と伝わる仏像の手を修理されたことからついたとも伝えられています。
仁王門をくぐり杉の大木に挟まれた長い石段を登れば本堂です。

善福寺参道
文殊山城址、塞ノ神城址へ
つづいて善福寺に自転車を置いて徒歩で文殊山城址へ向かいます。
本堂に向かって左奥の石段へ進むと道標が立っています。
植物と野鳥の説明板が次々と現れるのをながめながら歩いてゆくと櫓が見えてきて文殊山城址に到着します。
善福寺から文殊山城址までは25分ほどのハイキングです。
中央には善福寺奥之院にあたる文殊堂が建ちます。
文殊山城の名称は江戸期に文殊堂が建てられたことに因んでいますが城址はもともと亀山城主奥平氏の砦城で武田氏との和睦の末、奥平氏が一夜で築いたため一夜城と呼ばれたと伝えられています。

文殊山城址
つづいて塞ノ神城址へ向かいます。
塞ノ神城址へは文殊山城址主郭の東に大きなブナの木が立っていますのでその脇から北へ尾根道を進みます。
左下に車道が見えてきて塞ノ神城址への道標が建つ「文殊山城跡と高里の分岐」に出ます。
ここで隈笹の中に続く小径を15分ほどたどれば城址に到着です。

塞之神城址
塞ノ神城址は来歴がよくわかっていないところがあり、武田氏と奥平氏和睦による築城とも奥平氏以前に三河三長者の一人である米福長者の時代に存在していたとも言われています。
静かなたたずまいの主郭にあがると縄張図があります。
縄張図と周囲を見比べてみると相当な規模の城跡になっていることが実感できてじっくりと見て回るには時間がかかります。
山城ファンの方は縄張図を下調べをしてから現地を訪れるのがおすすめです。
愛知中世城郭研究会の「愛知の山城ベスト50を歩く」が詳しくて参考になります。
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塞ノ神城址は国道301号をはさんで東側に古宮城を見下ろす位置に築かれています。
はたして武田氏によるものであったのか、古宮城築城の歴史と合わせていろいろと想像をめぐらせてみると面白いですね。
尚、文殊山城址と塞ノ神城址へは「新城市作手保健センター」前の車道を南下してアプローチすることもできますが、道幅が狭く駐車場所も限られるためやはり自転車と徒歩でアプローチするのがおすすめです。
亀山城址で青空ランチ
林の中にひっそりとした時間が流れる城址をあとにして往路を道の駅に戻ります。
今回の青空ランチは手作り村各所にある休憩ベンチやゆうゆうひろばでお弁当を広げるのも良いですが、自転車で亀山城址へ足をのばしてみましょう。
奥平貞俊の築城による亀山城は主郭からの見晴らしがすばらしいです。
第2駐車場脇の亀山城址入口から90m登れば本丸はすぐのところにあります。
周囲を土塁で囲まれた本丸は広々としていてベンチも配されているのでゆっくりできます。
旅の後半の古宮城址攻略に向けて作手の里を見下ろしながらまずはここで腹ごしらえです。

亀山城址本丸
難攻不落の古宮城址へ出陣!
今回の旅のメインディッシュは古宮城です。
続日本100名城にも選定されているこの城址は武田氏による築城とされていますが文献資料がほとんど残されておらず、その築城の歴史や徳川方による改修の可能性などが議論されており大変興味深い山城です。
古宮城は大規模な土塁や堀が良好に残されており山城ファンにはたまりません。
城の来歴については専門家の議論に任せ、我々旅行者は純粋に古宮城の縄張の妙を楽しんでみましょう。
古宮城の縄張については前出愛知の山城ベスト50での予習が欠かせません。
また「続日本100名城公式ガイドブック」なども参考になります。
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攻め手の気分になりきって果たして弓矢や銃撃をよけきり見事主郭に到達できるか、夢想空間でドキドキハラハラの縄張探訪がたのしめます。
お腹を満たしたら亀山城址から古宮城址へ自転車でいざ出陣です!
尚、車で出かける場合は白鳥神社の東側に県道436号に面して駐車スペースがあるので利用できます。

歴史の小径で古宮城址へ向かう
現地に到着したらまず古宮城址内の土地が個人所有地であることに留意して立ち入り禁止区域や宅地には侵入しないように留意が必要です。
注意書きと案内図が設置されているのでよく確認してから見学しましょう。

古宮城址案内図
白鳥神社から城址に入り、持参した縄張図と照らし合わせながら進めば大規模に丸く巡らされた土塁、堀切、枡形虎口などが現れて縦に横にと空間の妙を存分に楽しむことができます。
主郭に到達するころには全身に弓矢が突き刺さっている気分になること必定です。

西曲輪
いつまでも古宮城址の縄張を味わっていたいところですが、ぼちぼち次の景勝地である甘泉寺へ向かいます。
甘泉寺は奥平貞俊が群馬からこの地に移り住んだときに身を寄せていたという古刹です。
甘泉寺も駐車場が完備されており車で問題なく行けますが、自転車ならよりフットワーク良く途中で「豊川、矢作川分水点」や「清岳向山湿原」などに立ち寄りながらサイクリングを楽しめます。

豊川矢作川分水点

清岳向山湿原
甘泉寺コウヤマキと鳥居強右衛門墓碑探訪
甘泉寺は上述したように駐車場が完備されていてお寺の正面まで車で入れますが、車は表参道入り口の手前にある駐車スペースに止めて歩くのが断然お勧めです。
巨木の杉木立の中に続く石段の表参道を一段一段のぼって訪れれば心も静まります。

甘泉寺参道
境内には信長が葬ったと言われる鳥居強右衛門勝商の墓と国の天然記念物に指定されている「コウヤマキ」があります。
コウヤマキは台風で上部が大きく損壊しましたが推定樹齢600年以上とも言われる名木です。

甘泉寺コウヤマキと強右衛門墓碑
強右衞門の墓碑もコウヤマキも無言で戦国の歴史を語りかけてくるようです。
貞俊も自分の子孫信昌がのちに長篠城主となり長篠の戦いで活躍する強右衞門の墓碑がここ甘泉寺に建つことになるとは夢にも思わなかったことでしょう。
こころも洗われたような気分になり甘泉寺をあとにして川尻城址ヘと向かいます。
応永31年(1424)奥平貞俊が築いたとされる川尻城址は現代では広大な敷地を有する「創造の森城山公園」として整備されています。
川尻城址を散策したのち、つくで歴史の小径のサイクリング&ハイキングの旅は、最後に「作手歴史民俗資料館」に立ち寄って古宮城の100名城スタンプをいただいて締めくくることにします。
管理人探訪日 | 2024年4月18日 |