サイクリング&ハイキングで楽々攻略!歴史の里田峯城

田峯城 史跡、城
田峯城

設楽町は東三河地方「ほの国」の中でも愛知県の北東部に位置し、豊川、矢作川、天竜川の源を有する自然豊かな山あいの町。戦国の歴史の舞台となった山城や史跡、景勝地がいくつも点在している。都市部からはちょっと遠い印象があるのではないだろうか。だが、高速や国道を利用して車でアプローチすれば実は意外と近い。さらに自転車を車に積んででかければ目的地周辺の狭い道も気にせずに効率よく要所を見て回れ、駐車場の心配も無用だ。今回は、折りたたみ自転車を使って設楽町歴史の里田峯に点在する名所を半日でひと巡りしてくるサイクリング&ハイキングのご紹介である。

道善畑より

道善畑より

田峯の里山サイクリング&ハイキング行程

みちの駅したら(起点)・・・新清嶺橋・・・田峯バス停・・・田峯城・・・日光寺・・・道善畑(今泉道善処刑の地)・・・田峯城内乱の首塚・・・うば神様・・・白鳥神社・・・田峯観音・・・だみねテラス・・・県内最大のカゴノキ・・・みちの駅したら(終点)

みちの駅したら

みちの駅したら

みちの駅したらまでは車でアプローチする。そこからは車に積んでおいた自転車で田峯の里山をサイクリングしたりハイキングしながら巡る。山あいの里を巡るには機動性が高く小回りの効く自転車を使うと効率よく回れる。また効率が良いばかりでなく、予定にないところもあちこちと寄り道できるのが自転車の楽しいところだ。今回のコースを車のみで訪れる場合は一部で車道が狭かったり、駐車が不便なところがある。ハイキングの楽しみは減るが、コース取りを工夫することで見学、探訪は可能なので後述する。

田峯城へはサイクリングがおすすめ

みちの駅したらから国道257号線を西進し、清嶺トンネルを抜けると新清嶺橋で一級河川豊川を渡る。橋上からは新緑の景観が美しい。橋を渡りきったところで交差点を右へ入る道路は、田峰観音へ至る町道103号田内折立線である。交差点角に田峰十一面観音入口と案内されている。車で田峯城を目指す場合には、この田峰観音方面へと右折し、田峰観音を参拝後に町道を南下して訪れた方が道幅が広くておすすめである。

新清嶺橋より豊川

新清嶺橋より豊川

サイクリングの場合は、新清嶺橋から国道257号線をさらに西進南下して段嶺郵便局前で右折し、「田峯遊歩道Cコース」に入る。郵便局前の交差点奥に遊歩道案内図と田峯城への道標が設置されているので確認しよう。尚、案内図から豊川沿いに少し下ると田峯おしどりの里がある。おしどりの越冬地となっており、シーズンの11月から3月にかけて観察できる。

田峯遊歩道案内図

田峯遊歩道案内図

田峯城へは遊歩道案内図に向かって右手に進み、町道148号田峯海老線に入る。すぐ左手に現れるトンネルは森林鉄道段戸山線の名残である。ここから田峯城までの車道は道幅がせまいため、車で行くとすれ違いが困難となり、前述の田峰観音から南下するルートで訪れた方がストレス無く到着できるだろう。自転車の場合は問題なく通行できるが、今回のサイクリングルート中、登り坂となり一番の頑張りどころだ。

町道148号田峯海老線

町道148号田峯海老線

町道を進むとやがて右手に田峯城への近道となる山道を分ける。坂道も急になり、自転車を押し歩くと右手から登ってくる山道が町道と合流する地点に休憩ベンチが現れるので一服していこう。

休憩ベンチで一服

休憩ベンチで一服

田峯城へはこの先で町道105号線田峯東区田内線と合流する地点に道標が設置されているので左折して一漕ぎすれば到着する。車で訪れる場合も町道の合流地点から田峯東区田内線に入り、田峯城入口とある白い看板で左折すれば駐車場に到着する。駐車場脇にはトイレも設置されている。

歴史の里田峯城入城いまむかし

田峯城は、文明2年(1470)菅沼定信が自身の居城として築いたと言われている。4代下って5代城主の菅沼定忠は武田信豊、山県昌景の配下にあって長篠の合戦に臨んだ。武田軍が総崩れになると敗走する勝頼一行と合流し、田峯城へと案内するも武田敗北を察知した留守居役の叔父、定直と次席家老今泉道善の謀反にあい入城を阻まれ、定忠と勝頼一行はやむなく支城である武節城へと命からがら落ち延びてゆく。

復讐心を募らせた定忠は翌年田峯城を夜襲し、定直主従一族郎党96名を惨殺する。中でも首謀者の今泉道善は生きながらに鋸引きにされたという。下剋上の時代にあって、それぞれがひたすら一族の存続を考えて行動した人々のなんとも悲しすぎるものがたりである。

さて、田峯城址は、現在では「歴史の里田峯城」として整備されている。残存資料が乏しく、城址の発掘調査や研究成果に基づいて建造物が復元されたわけではないが、遺構は中世の武家屋敷をしのばせる書院造りの様式で復元されている。

本丸には、御殿のほか、厩、物見台、大手門が復元されているので入城してみよう。現代では、入城料(大人220円)を払えば誰でも入城できてしまう。開城時間は午前9時から午後4時までで毎週月曜日と祝日の翌日等は休城である。物見台に登れば植生に随分と遮られているが、眼下西方にわずかに寒狭川(豊川)がきらりと見える。

田峯城は本丸から見下ろした寒狭川が蛇行し、山城をいただく様がまるで大蛇のようであることから別称蛇頭城(じゃずがじょう)とも呼ばれていた。はるか下流の長篠城から寒狭側沿いに敗走してきた定忠、勝頼らの姿が目に浮かぶ景色だ。

田峯城物見台から

田峯城物見台から

鎮魂のサイクリング&ハイキング、道善畑(今泉道善処刑の地)と田峯城内乱の首塚

田峯城からは道善畑(今泉道善処刑の地)と日光寺に立ち寄り、田峯城内乱の首塚へとサイクリングする。車の場合は道幅も狭く短い距離なので田峯城から散策すると良いが、田峯城の駐車場を出て町道田峯東区田内線を西進すると150mほどで左に道善畑への分岐がある。また日光寺へは同分岐からさらに北へ100mほど進むと、右手に町道寺前前下線を分けるのでこれに入れば行ける。

道善畑(今泉道善処刑の地)

田峯菅沼氏の重臣として宗家を支えてきた次席家老の今泉道善。長篠の合戦前夜、城主定忠や主席家老の城所道寿と対立した道善は田峯城内に留まり、合戦には嫡男の道玄が定忠や道寿とともに出陣している。長篠の戦いで敗走してきた城主の帰還を門前に拒んだ道善は翌年、定忠の復讐にあい田峯城騒乱のなかで処刑されてしまう。道善はここで鋸引きの刑に処せられたという。現代の道善畑は周囲に茶畑がひろがり、鞍掛山などの設楽の山々を遠望できるのどかで美しい広場となっており、広場の端にぽつんと碑が残されている。美しい里山の風景と流血の歴史のコントラストが青空の下に悲しく広がっている。

道善畑

道善畑

田峯山日光寺

田峯山日光寺は田峯菅沼氏の菩提寺である。江戸時代の初期に日光寺が焼失した際、寺を再建しようとした田峯の村人たちは徳川幕府の御用林とは知らずに段戸山の木々を伐採してしまう。盗伐の疑いをかけられて御油赤坂の代官が検分に来ることとなり、処分を恐れた村人たちは田峰観音に願をかけ歌舞伎を奉納したところ、検分の日になって旧暦6月の土用というのに雪が降り、切り株は隠れて盗伐の罪は免れたという。以後、田峰観音の大祭で歌舞伎が奉納されるようになったと伝わっている。

田峯山日光寺

田峯山日光寺

怖いけどやっぱり行きたい田峯城内乱の首塚

日光寺から町道田峯東区田内線に戻って北進するとじきに首塚への道標がある。左折して坂道を一登りすると町道112号鍛治沢休戸線に上がる。町道を500mほど南下すれば道路脇左手に首塚入口の道標と休憩ベンチが現れる。首塚へは道標向かい側の山側に作られた石垣の坂道を上がって徒歩でのハイキングとなる。

首塚は定忠によって処刑された人々の首をさらしたところと言われており、町指定史跡となっている。ハイキングとは言っても薄気味悪さは否めず、陽気のよい日中に複数人で連れ立って訪れることをおすすめする。あまり歩かれていない付近の山中には他にも古い石仏などがあったりするのだが、ここではこれ以上は触れない。

田峯城内乱の首塚

田峯城内乱の首塚

青空ランチはだみねテラスが最高

首塚からは町道を戻り、自転車で乳母神様、田峰観音、白鳥神社、だみねテラスとめぐる快適なサイクリング旅だ。

乳母神様の悲しい歴史

町道田峯東区田内線作手街道沿いに菅沼定忠の乳母を祀った乳母神様が建っている。首塚からの町道を北進すると田峰観音へ向かうY字路に至るのでここで左手に進むとすぐ先の道路脇に建っている。戦国時代、奥三河を治めていたのは「山家三方衆」と呼ばれた田峯菅沼氏、長篠菅沼氏、作手奥平氏であった。彼らは領土の安寧を図る共存関係にあったが、次第に今川、織田、松平氏の争いに巻き込まれ同盟の足並みは乱れて一族相争うこととなる。

定忠の父であった定継とその弟、定直は弘治2年(1556)布里合戦で同族内で織田方、今川方に分かれての騒乱となった。敗れた定継が自刃した際、遺児である小法師(定忠)を抱いて逃げた乳母は病身の定忠の助命を嘆願しつつも追っ手に手打ちにされてしまったという。乳母神様は後年になって定忠が身を挺して我が身を守ってくれた乳母を偲んで建立したものだ。

菅沼定直は兄、定継の遺児である幼い定忠には刃を向けず、菅沼宗家の命脈を保つため、定忠の後見となって田峯城に留まる。しかし定直も後年、自分が養育し成長した定忠に討たれることになるという悲しい運命にあった。

乳母神様

乳母神様

白鳥神社

白鳥神社へは乳母神様に向かった際のY字路の少し手前のT字路まで戻るとNTTの電話交換所施設があるので施設脇の小径を進む。車は進入できないので田峰観音の駐車場等を利用することになる。

白鳥神社は応永17年(1410)に日本武尊を勧請、寛正2年(1461)には菅沼伊賀守貞成が作手郷菅沼田ノ口から誉田別命を勧請したと言われる。文政十一年の常夜燈、昭和八年改築の長い石段、その石段を浮き上がらせるほど成長した大木などは必見である。

白鳥神社

白鳥神社

田峰観音

田峰観音高勝寺は初代田峯城主、菅沼定信の開基とされ、三河三観音の一つに数えられている。日光寺焼失の際、真夏に雪を降らせて村人の危機を救ったという霊験伝説のある古刹である。田峰観音へは前出乳母神様に向かった際のY字路を右手に入れば駐車場に至る。駐車場から石段を上がったところの杉は参道の両側に立っているため、鳥居杉といわれている。落雷で樹勢が弱っているのが心配されている。

田峰観音

田峰観音

青空ランチは「だみねテラス」がおすすめ

今回の行程中、青空ランチは「だみねテラス」が断然おすすめである。だみねテラスは田峰観音駐車場脇にあり、戸外の休憩ベンチからは映画のスクリーンを見るかのように設楽の山並みが見わたせる。すぐそばには田峯特産物の直売所もあり、五平餅はあつあつを焼いて出してくれる。ゆっくりしていこう。

だみねテラスで青空ランチ

だみねテラスで青空ランチ

巨木に逢える町したらの県内最大のカゴノキ

巨木に逢える町したら。町内各所に大木、巨木がある。田峯のカゴノキは県内最大という。カゴノキは樹皮が点々と脱落したあとがまだらに白くなって鹿の子模様になることからその名がついている。根元近くには祠が祀られており、ご神木として大切にされてきたものである。田峰観音参道入口の石段の右横に立っているので訪れてみよう。(注)参道は、だみねテラスよりも下から続いている参道である。

田峯のカゴノキ

田峯のカゴノキ

快適サイクリングで帰ろう!奥三河郷土館も必見

戦国の歴史の舞台となった田峯の里探訪もカゴノキに別れを告げて終了する。カゴノキ前の参道入口からは右手に田峯小学校を見送り直進して、町道103号田内折立線を下る。行きに見送った国道257号線田峰十一面観音入口まで、自転車の威力を感じる一気のダウンヒルだ。みちの駅に戻ったら併設されている奥三河郷土館にも立ち寄ってみよう。したらのすごさをあらためて感じて、きっとますます好きになるはずだ。

管理人探訪日 2024年5月17日
みちの駅したら発 9:55
みちの駅したら着 14:45

 

 

 

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