【歴史と伝承を辿る鳳来寺山】じっくり登山のすすめ

鳳来寺山 愛知の山、自然
鳳来寺山

現在は活火山のない愛知県ですが、約1500万年前の太古の昔には鳳来寺山から近畿、四国、九州に至る長大な火山帯があったと言われています。

火山活動の中心は現在の鳳来湖付近でその痕跡が奥三河各地に残っています。

設楽火山と呼ばれる火山の痕跡です。

鳳来寺山の巨大な岩壁、鏡岩もその一つでマグマ由来の松脂岩でできています。

古い成り立ちの歴史を有する鳳来寺山は伝説に包まれた信仰の山でもあり、山中には数々の名勝史跡が残っています。

現代では登山者やハイカーばかりでなく、長い石段をランニングで駆け上がったり、鳳来山東照宮へ参詣する人たちなど多様な人々が訪れます。

車で山の中腹までアプローチすることも容易ですので鳳来寺山の楽しみ方は様々です。

この記事では、鳳来寺山の主な見どころを辿るひとつの歩き方を紹介しています。

もしまだゆっくりと鳳来寺山を歩いたことがなければ、じっくりとその歴史と伝承に触れながら歩いてみるというのはいかがでしょうか。

一歩一歩登山道に自分の足跡も残せば、きっと充実した山行になること請け合いです。

鏡岩を見上げる

鏡岩を見上げる

登山コースガイド

今回の登山では、笠川駐車場に車を止め、表参道から鳳来寺本堂、奥之院、鳳来寺山頂へと登ってみます。

鳳来寺山頂からは瑠璃山を往復したのち、展望の鷹打場を経て鳳来山東照宮に参拝しふたたび鳳来寺本堂へと周回して往路の参道を駐車場へ戻ります。

鳳来寺山ではよく歩かれている登山コースですが周辺をじっくりと歩いてみることにします。

尚、自転車を車に積んで行き、下山後に戦国武将奥平貞昌にまつわる於フウの墓へもサイクリングと徒歩で立ち寄ってみるとさらに興味深く探訪できます。

於フウは武田氏に人質としてさし出され、若くして悲しい一生を鳳来寺に閉じました。

鳳来寺登山の折には是非とも訪れてみたい史跡です。

現地鳳来寺山ガイドマップ

現地鳳来寺山ガイドマップ

お出かけ前に

下記の所要時間には休憩時間を含んでいません。

散策と探訪に時間をかけながら登山初級者が無理なく歩けるように、ゆっくりめのスピードで所要時間を想定しています。

コースは比較的安全に歩けますが、5~6時間ほど歩ける体力と脚力は必要です。

石段が1425段と長いため、膝が弱い方は注意が必要です。

登山前の準備体操と下山後の整理体操を入念に行うようにしましょう。

登山ルートと参考所要時間

笠川駐車場🚶(40)→石段下登山口(65)→鳳来寺本堂(45)→奥之院(20)→鳳来寺山頂(7)→瑠璃山(5)→鳳来寺山頂(25)→天狗岩(30)→鷹打場(30)→鳳来山東照宮(5)→鳳来寺本堂(35)→石段下登山口(25)→笠川駐車場

*山が深く、帰りが遅くなると足元が暗くなるのが早いです。

また、できれば下山時に鳳来寺山自然科学博物館にも立ち寄りたいため、遅くとも午後4時には登山口へ下山するつもりで出発時間を調整するのがおすすめです。

三ノ門から「歴史が歩いた坂道」をゆく

車を県道32号線の豊鉄バス「鳳来寺」バス停脇にある笠川駐車場に駐車して身支度を整えます。

トイレも設置されていて安心です。

入口には三ノ門が建ちます。

笠川駐車場より上部にも駐車場はいくつかありますが、表参道沿いは鳳来寺山の歴史と文化に触れることができる「歴史が歩いた坂道」であり、笠川駐車場から歩くのがおすすめです。

奥平仙千代最後の地

三ノ門の脇に奥平仙千代最後の地と書かれた大きな碑と墓があります。

鳳来寺山登山のガイドブックではほとんど紹介されることもありませんが、仙千代は戦国武将奥平貞能の次男で貞能とその長男貞昌(後に信昌、長篠城主)が武田氏に帰属した際に人質として差し出され、貞能らがのちに武田氏から離反し徳川氏に属したことで13歳という若さで処刑され短い生涯をこの地に閉じました。

天正元年(1573)のことです。

鳳来寺山のクロニクルを辿る旅はここからはじめます。

三ノ門

三ノ門

三ノ門から表参道を歩く

三ノ門からは、参道の入口角にある観来館(みにこんかん)に立ち寄ってみます。

開館は午前10時なので大抵の登山者が登山を開始している朝の時間帯にはまだ閉まっていますが、建物脇に十二支の一つ、ねずみの石碑が建ち案内文があります。

ここから長い石段が始まる登山口まで100m毎に干支の石碑が建っています。

歩くペースを整えながら、一つ一つ辿って行きましょう。

十二支は鳳来寺の本尊、薬師如来十二人の眷属、干支の守り神に因んでいます。

石碑の道標は昭和60年(1985)に建立されました。

ねずの木は見ていた!武将、文化人の歩み

参道を進むと左手に浄瑠璃姫と義経の彫像、さらに進んで家康の寅童子、その向かいにねずの木の古木と現れます。

案内には推定樹齢1400年とあります。

古木の樹勢は衰えていて現在の姿は痛々しいですが、浄瑠璃姫の悲恋も武将、文化人の歩みもみんな見てきたねずの木。

なんとか生きながらえてもらいたいものです。

ねずの木からは、今から登る鳳来寺山の山体がよく見えます。

干支の道標をさらに辿れば若山牧水像、松尾芭蕉像と現れて最後に鳳凰に乗る利修仙人像が建つ鳳来寺山登山口に到着します。

ねずの木と鳳来寺山

ねずの木と鳳来寺山

鳳来寺山登山

登山口で一服したら殺生禁断の碑前を通り、源頼朝寄進と言われる長い石段を登ってゆきます。

鳳来寺山は開山の祖と言われる利修仙人にまつわる数々の伝承、史跡に満ちていて、時代と出来事を確認する作業がとてもたのしいです。

鳳来寺開山は飛鳥時代の大宝3年(703)、利修仙人は570年の生まれと伝わりますので、このとき実に133歳ということになります。

頼朝(1147~1199)が生まれるのはまだ440年以上も後のことになります。

仁王門、傘すぎ、胎内くぐりと巡って鳳来寺本堂へ

石段を225段上ったところで仁王門に到着します。

仁王門は3代将軍家光の命で慶安3年(1650)に着工されましたが、家光自身は翌年亡くなっており、4代家綱の時に完成しています。

正面中央に「鳳来寺」と書かれた仁王門改修時に作成されたレプリカの額が掲げられていて、書は奈良時代の能筆家光明皇后(701~760)が鳳来寺本尊の薬師如来に聖武天皇の病気平癒の願をかけ、天皇の病気が全快したお礼にこの三文字を書いたと伝わっています。

仁王門へ上がる

仁王門へ上がる

仁王門をくぐってしばらく歩くと樹齢800年を超える巨木、笠すぎが現れます。

仰ぎ見る笠すぎには見事の一言しかありません。

最近では多くの人が付近を歩くことで、根回りの土が硬くなっているとのことです。

静かに見上げて通り過ぎましょう。

笠すぎを見上げる

笠すぎを見上げる

笠すぎからさらに20分ほどあえぎながら石段を登ると医王院です。

徳川家康の生母於大の方が参籠し、家康を授かったと伝わるところです。

医王院からさらに10分ほど登ると岩本院跡に到着します。

ここから左手に進めば龍の爪痕とも、利修仙人に仕えた鬼の爪痕とも言われる岩場があるので立ち寄ってみましょう。

登山のガイドブックなどではあまり紹介されていませんが、この岩場からさらに奥へと進めば、胎内くぐりの大岩があり必見のスポットになっています。

ここには江戸時代後期の歌人、糟谷磯丸の歌が刻まれた石碑があります。

大岩からはさらに先に続く巻き道を進んで鳳来寺本堂方面へと上がって行くこともできますが、ひとまず岩の廻りだけをぐるりと一回りしたらもと来た参道の石段まで戻り本堂をめざしましょう。

本堂はあと一息です。

必見の胎内くぐり

必見の胎内くぐり

鳳来寺本堂から鐘楼、鏡岩を巡る

鳳来寺本堂には、本尊薬師如来の智慧を大円鏡にたとえることから古来から鏡を奉納する習わしがあり、たくさんの鏡絵馬が納札されています。

お参りをすませたら、本堂の正面にある休憩所で一服しましょう。

展望が良いところになっています。

鳳来寺本堂

鳳来寺本堂

さて、鳳来寺山へは、本堂脇裏手にある弘法大師堂に上がる石段を登って山頂へ向かいます。

石段の途中に、山頂方面を記す看板と鐘楼鏡岩下遺跡を記す看板があります。

一旦、鐘楼と鏡岩に立ち寄ってから山頂へ向かうのがおすすめで、手すりの左側に出て鐘楼鏡岩下遺跡方面へと進みます。

鏡岩は高さ70m、幅250mほどもある絶壁です。

樹木に遮られて全貌は見渡せませんが下から見上げてみましょう。

さらに奥へ進めば鐘楼です。

鐘楼から先は本堂に登ってきた途中で見学した胎内くぐりの大岩へと続く巻き道なので、そちらへは下りずにもときた階段の看板まで戻ってから山頂方面へと直登します。

鐘楼

鐘楼

展望の奥之院で青空ランチ

続いて石造利修仙人像を右奥に見て木橋、鉄階段を登ります。

ここからは登りが急になり、滑りやすいので注意が必要です。

10分ほど詰めると白山大乗坊、さらに5分ほどで利修仙人が入寂された勝岳不動明王に到着します。

不動堂から先は、山道も緩やかになり六本杉の看板を過ぎると5分ほどで奥之院に到着します。

木陰とベンチがあり、登山道から少し左側奥へ外れると展望が効きます。

お昼にすると良いところです。

奥之院近くから望む

奥之院近くから望む

展望スポットをはしごする①鳳来寺山から瑠璃山へ

奥之院から鳳来寺山頂へ向かうと「鳳来寺山々頂0.3km10分」の道標があり、立ち入り禁止の廃れた休憩所に出ます。

その先で踏み跡が二手に分かれていて立木に赤テープが巻いてあるあたりやトラロープが張られている付近で迷いやすいですが、ロープを左手に見て進めばじきに山頂に着きます。

鳳来寺山々頂

鳳来寺山々頂

山頂では展望は望めませんが、棚山高原方面へ数分歩けば瑠璃山の岩場に出て、すばらしい眺望が得られます。

それほど広くない岩場なので入山者が多いと腰を下ろすスペースは限られます。

木陰も少ないので夏場にかけては、長く休憩するにはどうかというところです。

鳳来寺山と瑠璃山の間に木陰になる休憩ベンチとテーブルが一組あります。

暑い時期は木陰にもどれば涼しく休めます。

瑠璃山から望む

瑠璃山から望む

展望スポットをはしごする②天狗岩から鷹打場へ

つぎは瑠璃山から鳳来寺山々頂まで戻り、展望の天狗岩、鷹打場へと向かいます。

山頂から天狗岩へは「自然観察路」となっている道標横からガラガラした岩場を下ってゆきます。

10分も歩かずに「天狗岩0.3km6分」の道標まで来ます。

その先で文部省の石柱が建つ岩場から木製の階段を下りたら、立木に赤テープを巻いてあるところで左に折れましょう。

見落とすと大岩の下で行き止まりになって気づきますが、危険なのでうっかり先へ登りはじめてはいけません。

階段下から先へ進みもう一つ丸木の階段を上れば天狗岩に到着し展望がひらけます。

つづいて天狗岩からは南アルプス展望台を経て、鷹打場へと向かいます。

天狗岩から10分ほどで「鷹打場0.4km8分」の道標に至り、さらに下って鷹打場分岐の道標があるところを左へ進むと数分で鷹打場に到着です。

瑠璃山よりも広く、こちらも抜群の展望です。

足の速い人であれば、鳳来寺から周回して鷹打場でお昼にすることもできますが、日陰はやはり少ないです。

鷹打場

鷹打場

鳳来山東照宮へ参拝

大展望を楽しんだら、鷹打場分岐まで戻って鳳来山東照宮を目指します。

迷うところはないので道標に沿って下ればだいじょうぶです。

やがて深山の良い雰囲気の中に東照宮の苔むした屋根が眼下に見えてきて、社務所横に下山することができます。

鳳来山東照宮

鳳来山東照宮

笠川駐車場へ下山

東照宮でお参りをすませたら、鳳来寺本堂へ周回します。

本堂からは往路の長い石段を下ることになるので、本堂前の休憩所で再び休憩して体調を整えます。

尚、等覚院跡から仁王門上に下りる馬の背展望台コースがありますが依然通行止めなので使えません。

鳳来寺山自然科学博物館

下山して時間に余裕があれば、参道脇にある鳳来寺山自然科学博物館に立ち寄りたいところです。

火曜日定休で午後四時半まで入館できます。

コノハズクにも会えて、図書も購入できるので鳳来寺山の歴史や自然について知識を深めることができます。

鳳来寺山のコノハズクはすっかり減ってしまったようですが、いつか山中で実際の鳴き声を聞いてみたいものです。

博物館で聞いたビデオの鳴き声は、筆者には「コッ、キョ、キョー」と聞こえました。

鳳来寺山番外の旅「於フウの墓」へ

さて、仙千代とともに武田氏に差し出された人質には、三河日近城主奥平貞友の娘於フウと萩城主奥平勝次の次男虎之助もいます。

いずれも当時13歳。

処刑されたとき仙千代は13歳、於フウと虎之助は16歳でした。

於フウの墓へ行くには付近に適当な駐車場がないので、徒歩で向かうかサイクリングをする方であれば車に自転車を積んでゆき笠川駐車場から自転車で向かうとスムースです。

駐車場から県道32号線を北に1.2kmほど進み左カーブのガードレールの切れ目から小さな階段を下りると、於フウの墓につながる小径があります。

奥へ進むと刑場を示す石柱と墓が建っています。

ここは廃線となった豊橋鉄道田口線に近いところです。

切り岸の線路跡の奥にはトンネルが真っ黒な口を開けています。

トンネル付近の山中は濃密に獣の気配が漂い、筆者は一人で中へ立ち入る勇気は出ませんでした。

鳳来寺山の山麓に静かに眠る仙千代、於フウ、虎之助。

三人の人生がとても切なく、胸を打たれます。

於フウの墓へ

於フウの墓へ

管理人山行日 2024年6月6日
笠川駐車場発 8:10
笠川駐車場戻り 15:55
管理人山行日 2024年6月3日
笠川駐車場発 8:45
笠川駐車場戻り 16:00

*6月3日は下山途中に鳳来寺山自然科学博物館立ち寄りを含む
*6月6日は下山後、於フウの墓への立ち寄りと田口線跡探訪を含む

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