史跡・文化財に富んだ安城市では、地域やテーマ毎に「歴史の散歩道」と名付けた11の小冊子が用意されていて安城市歴史博物館などで無料で入手できます。
その小冊子の中に「安祥城址と古戦場めぐり」と「どうする家康特別版」があります。かつて織田信長の父信秀と徳川家康の父広忠が安城城をめぐって数度にわたって争奪戦を繰り広げた安城合戦について戦跡をめぐる散歩道や周辺図が紹介されています。
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「歴史の散歩道」~安祥城址と古戦場めぐり~はこちら
「歴史の散歩道」~どうする家康特別版(家康ゆかりの地編とも)~はこちら
安祥城址公園の「笙の塔」からめぐる
安城合戦の舞台となった安祥城址付近の一帯は現在「安祥文化のさと」として文化施設や公園などが整備されています。安祥城址公園の敷地内にはシンボルタワーである「笙(しょう)の塔」や遊具の備わった「わらべの広場」、東屋やベンチなどがあります。歴史博物館向いの建屋内には喫茶もありますが、公園はお弁当持参で楽しめます。
笙の塔に登れば城址の眼前に田園地帯が広がっていることが見てとれます。安城城は台地の端につくられ、北を除く東、南、西の三方向は深田に囲まれた自然の要塞でした。当時の風景が目に浮かんでくるスポットです。
安城城周辺のみどころ
小冊子~安祥城址と古戦場めぐり~で紹介されているAコース(60分)は安祥城址周辺を巡る散歩道です。Bコース(90分)はこれに加えて街なかに点在する寺や墓碑、井泉跡などをめぐるコースになっています。
筆者のおすすめは、はじめに安祥城址周辺を徒歩でめぐった後に街なかの史跡を自転車で散策する方法です。車に自転車を積んで出かければ徒歩と自転車で効率よく見て回ることができます。
もう一冊の小冊子~どうする家康特別版~に掲載されている安城城(安祥城)の周辺図も散策の参考になります。
一の曲輪跡(大乗寺)
安城城は一説に室町時代の永享年間(1429~1440)に和田氏により築城されたといわれます。その後岩津の松平信光が奪い取り安城松平家4代の居城となりますが、天文9年(1540)に織田信長の父信秀が攻め取って城代に信長の兄信広を置きます。
その後も城取り合戦は天文14年(1545)の合戦、天文18年(1549)の合戦と続き、松平・今川連合軍の攻撃により信広は捕らえられ竹千代(徳川家康)との人質交換が行われました。
安城城は桶狭間の戦いの後に廃城となり現在一の曲輪跡に建つ了雲院大乗寺はずっとのちの江戸時代寛政4年(1792)以後に移転されたものです。ですので安城城の館姿をイメージするのは難しいですが、要所に縄張図や現在の復元図などが掲示されているので参考になります。
本多忠高墓碑
本多忠高(徳川四天王のひとり本多忠勝の父)の墓碑が県道78号線沿いの墓地の中に建てられています。天文18年の安城合戦で忠高はこの地で敵の矢に当たり討死したといわれます。安城城の縄張図ではちょうどこの辺りは堀がめぐらされていたところになります。
現在も地中の水位が高いせいでしょうか墓碑の背後にある石垣塀の北側では歩道に水がしみ出して地面が濡れています。なかなか興味深いスポットなので墓地を出て歩道側にも回って見学してみるとおすすめです。
切岸と隅櫓跡
安城城は湿地帯の中につくられた平山城でしたが、切岸や隅櫓跡、現在の大乗寺の立地などを見ると当時の館が建っていた場所と沼地との高低差が実感できます。
大乗寺周辺の深い泥田の様子については「歴史の散歩道」~アンフォーレ・ウォークガイドマップ~「安城八景を歩く」の中に安城出身の俳人仙風舎柳月のことばとして興味深い記述があります。
近代の安城が原の水田の様子について述べたものではありますが、竹竿を刺してみても1丈(約3m)でも底に届かなかったとのことです。安城城がまさに底なし沼に囲まれた要塞であったイメージが湧いてきます。
二の曲輪跡(戦勝祈願の八幡社)
安城松平初代の親忠が城中に八幡宮を創建し、武運の神八幡神として信奉される応神天皇が祀られています。この八幡社の立地具合も一の鳥居から階段を上って一段高い位置に二の鳥居、神殿と建ち並んでいて興味深いです。
七つ井のめぐり方
安祥城址周辺には良い水が出たという「七つ井」と呼ばれる井戸の跡が点在しています。徒歩で全部めぐるとなると結構な散歩になりますが、自転車を使えば他の史跡の見学と合わせて楽々回れます。
各井戸の所在地は前述の~どうする家康特別版~の周辺図が参考になります。
風呂井
風呂井は安祥公民館前に再現されていますので一の曲輪を散策しているときに見学できます。
梅井
安城南部小学校の北東角フェンス前にあります。案内板が設置されていてその前に井戸と石碑があるのですが、現在は植え込みと雑草が生い茂り井戸の頭がわずかに見えるだけです。少し残念な状態になっています。
柳井
民間工務店の建屋の脇に石碑が残りますが、会社敷地内ですので会社に一声かけて見学させてもらいましょう。
桜井
民家のブロック塀を分断する形で井戸と石碑が残り、道路沿いから見学できます。井戸の存在感が強烈で塀をこの形にしても井戸を残してくれたのであろうと思うと事情が偲ばれます。
中井
民家敷地内の玄関先に石碑が残ります。完全に私有地にありますので、敷地に立ち入ったりしてトラブルにならないように見学には留意が必要です。
筒井
竹千代が安城城に立ち寄った際、この水を持って帰りたいと言ったと伝わる井戸です。歴史博物館前交差点の東角に井戸が残ります。
浅黄井
筒井に近接して県道78号線沿いに石碑が残ります。
本多忠豊墓碑
生活道路から奥まった住宅街の中に本多忠豊の墓碑は建てられています。忠豊と忠高父子はともに安城合戦で討死しました。主君に忠義を尽くして討死した父子ですが、いずれも徳川に功績のあった者だけに許される大亀の墓碑となっています。
岩津城の松平信光が安城城に無血入城してから550年ほどもたった現代では安城合戦に関連する様々な史跡は今日でも住宅街の中にしっかりと残存しているものもあれば、中にはそう遠くない将来には消え去っていくのではないかと思われるものもあります。
安城市の歴史の散歩道はまだまだたくさんの地区やテーマについて紹介されています。ぜひ自分の目で一つ一つ確かめてみたいものです。
*自転車を使ったサイクリング&ハイキングの楽しみ方についてはこちらの記事でも紹介しています。