小原町に点在する中世城跡の中でも最大規模の市場城跡。
お城ファンにはおなじみの市場城だが市場城はハイキングにももってこいの穴場的スポットだ。
小原町は四季桜で有名だがオフシーズンの市場城は特におすすめである。
城跡は散策路が整備さており、20分から30分もあればぐるっと一回りできる。
冬から春にかけては下草も枯れており城郭の曲輪内をあちらこちらじっくりと散策できる。
本丸跡に登れば展望がきき、ベンチでお弁当も楽しめる。
またこの時期は野生動物や昆虫の活性が低く、ハチやヤブ蚊に悩まされることも少ない。
城跡をぶらりと探訪するにはもってこいだ。
花の季節のような華やかさはないが冬枯れの山城も魅力たっぷり。
500年前の世界を体感するには絶好の季節だ。
市場城跡へ青空ランチハイキング
市場城跡へは車でアプローチするのがおすすめ。
豊田市方面より国道419号を北上し、小原町前田の泥ぶち観音がある交差点から本城小学校方面へと入る。
1kmほどで市場城跡駐車場である。
10台駐車できる。
花の季節に比べて駐車場の心配がまず不要なところが気楽だ。
駐車場角にはトイレも設置されており、冬場は凍結防止が施されている。

市場城址駐車場
ハイカー流市場城跡のあるき方
道路を挟んで駐車場の向かいが散策路入り口である。
もみじの落ち葉の吹き溜まりを踏んで散策路に入る。
運動靴でも歩けるが山道もあるので足作りはしっかりしておいた方が良いだろう。
2月は四季桜の花はすっかり散ってしまっているが枝にはちらほらと散り残りが見られる。
洗い出しの坂道を登っていくと市場城址全体図の案内板がある。

市場城址全体図
市場城主供養塔
順路に従って進むと散策路左手斜面のあちらこちらに小さな石仏が安置されている。
その先をさらに左へ回り込むと市場城主の供養塔が現れる。
初代鱸藤五郎親信、二代肥後守長重、三代伊賀守直重、四代越中守重愛が祀られている。
没年を見ると1511年から1611年であり413年~513年昔に活躍された人々である。
市場城は文亀二年(1502)に初代親信が築いてから四代重愛までの88年間鱸氏の居城であったとのことである。

供養塔
空堀
供養塔を後にしてさらに進むと空堀となる。
本丸址の曲輪の南側から二の丸の曲輪と並行してもう一本出丸的な曲輪が延びておりその間を空堀として活用した構造になっている。
空堀の底を歩いて行けばだんだんと特徴ある石垣が正面に迫ってきて市場城随一の写真スポットである。

空堀
本丸址
本丸址の曲輪の南側には櫓跡と言われている石垣が二段に続いている。
夏場と違ってまむしの心配などすることなく枯れ草をずんずん踏んで曲輪の端々まで立ち入って見物できるのがこの時期のいいところである。
夏場になると草が伸びてこうはいかない。
本丸の北側はこれまた急斜面となっており、厳重な守りであったことがうかがわれる。
山頂の本丸址は東側の眺望が開けている。
ベンチが3つ、東屋も設置されているので城主気分でゆっくりと青空ランチにしよう。

本丸址
帯曲輪
山頂からは南西側に散策路を下りる。
本丸の南西側は馬蹄形3段に帯曲輪が築かれている。
現在ではのどかな広場にしか見えないが、斜面を少し直登してみれば城の防御が固かったことが実感できる。

帯曲輪
竪堀群
帯曲輪からさらに西に下ると畝状竪堀群が現れる。
この空堀は山の斜面に竪堀と土塁を連続的に造営することで寄せ手の進入路を制限して防御力を高めているもので愛知県内でもめずらしい貴重な遺構となっている。
この竪堀の北側には本丸側から北西に延びている尾根があって尾根と直行するかたちで堀切が造られている。
堀切のさらに西にはもう一本北西尾根と直行する堀切があって林の中の赤テープを辿っていくと行ける。
荒れた道なので一般の人はほとんど歩いていないと思われあまりお勧めはできないが、山を歩き慣れているハイカーであれば探検気分で歩いてみると面白い。
440年以上も昔に山中を削ったり、盛ったりと大変なことをしていたのだなと感じられる遺構である。

畝状竪堀群
枡形門
竪堀群から南へ散策路を進むと石垣作りの枡形門が現れる。
散策路脇の案内には近世城郭における枡形の原型とある。
市場城は四代重愛が家康の下で大功をたてて天正11年(1583)領地を加増されて大改修が行われたという。
つまり中世から近世にかけての城の特徴が両方見てとれるのが市場城の貴重なところ。
市場城には文亀2年(1502)の初代親信による築城にはじまり、四代重愛による大改修に至る築城技術発達の歴史がつまっている。
曲輪の総石垣化、外枡形門、畝状竪堀群に残る堀切との交差などとても興味深い。
小原の山村で多くの人々が築城に汗をかいていた市場城。
市場城を歩けば、戦国時代の雰囲気がひしひしと伝わってくる。

枡形門
管理人探訪日 | 2024年2月12日 |